★Freeway★2000年製 ボーダー・ファイン・アーツ「クロッカスの妖精 A0300」。シシリー・ベイカーの絵本から生まれた花の妖精シリーズ。

Auction ends: 08/04/2024 07:14 (Tokyo)
Auction start: 08/01/2024 02:36 (Tokyo)
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c2000 Border Fine Arts ”Crocus Fairy”


ボーダー・ファイン・アーツ
「クロッカスの妖精」A0300


2000年製作の基本ライン。妖精姉妹

絵本に忠実。ここから限定版など派生

B.F.A.製妖精は3種、基本版がより精密

絵本から見事に立体化。さすが。


★送料は全国無料。クロネコヤマト便でお送りします。
★ここに時折、レディ・フィギュリンなどを出品。カップは常時50点内外を出品中。そちらもぜひご覧ください。(ティー&コーヒー)
★込み入ったご質問やお問い合わせは次のアドレスへメールしてください。(freeway@deluxe.ocn.ne.jp)


 1974年から2016年まで。スコットランド国境のランガムにある田園地帯にアトリエを開き、レシンでリアルな人や犬、そして農作業や狩猟の様子をミニチュア・タブローの世界で表現したBorder Fine Arts。英国人が誇りにしたこの手作り工房がその晩期に製作・販売して爆発的人気を得たのが「シシリーの花の妖精」シリーズでした。
 世界的に有名なシシリー・ベイカー作の古い絵本に出てくる花の妖精たちをレシンのミニチュア像に作った有名なシリーズ。

 これまで、ボーダー・ファイン・アーツが自社の販売会社EEGG Ltdで販売したベーシック版、人形が少し大きい限定版、アメリカ市場向けに米のDanbury Mint社が販売したこれもやや大きめの3種の一部を出品してきました。今回もベーシック版の一つで、姉妹でしょうか二人の少女の妖精が絡む「クロッカスの妖精」をご紹介します。パターン・ナンバーはA0300。

 一見すると木彫ではという素朴なベージュで着色されています。妖精が二人というのはベーシック版のみで3種ほどあったのではないか。しかし他はカラフルで、弟に姉さん妖精が絡むというスタイル。原作の絵本に忠実に作られていますから、絵本でも同タイプの姉妹は登場しないのでしょう。
 これまで出品者が手にしたり資料写真を点検した限りでは、ベーシック版が最も細工が細かく、妖精の顔などがそれぞれ個性的である。数が少ない限定版やダンバリー・ミント者販売分は、妖精の顔が可愛い赤ちゃん顔。多分一人の作者が担当したようで、可愛い妖精を摘出して作ったようにも感じられます。
 可愛さを押し出した感じで、ベーシック版のように背の高い花を掴んだり背に背負ったポーズはなく、大きくした分、高さを削ったようにも見えます。花を背負ったタイプのものだと、随分丈が高くなる。ミニチュアの枠を出てしまいますから。
 
 ベーシック版の妖精の中には、ひねたおばさん顔の少女というのがよく出てきます。如何にも意味ありげというか、変わった物語を抱えていそうな顔。出品者は曰く有りげなこういう顔の妖精がイイなと思うのだが、「カワイクない」とメールを下さるリピーター様がおいでました。
 ボーダー・ファインの妖精ばっか見ているとこれが当たり前に感じてしまう。
 しかしボーダー・ファインが巻き起こした妖精人形ブームでこのブームで色んな会社が色んな妖精を作っています。同じ絵本の原作を使ったものもありますが、ボーダー・ファインに迫るような出来のものは皆無。まあ、値段も違いますからそんなもんでしょう。
 安っぽい、ボロい妖精を見てボーダー・ファインの良さを痛感した次第。こういうの、当たり前にはポイポイ出来ません。

 レシンはプラスチックは入った粘土で、普通は原型を作り型を取ってということになります。イタリアのカポディモンテのレディ・フィギュリンなんかがそうです。
 しかしこの「クロッカスの妖精」を例にして。どの辺りが型で出来ているんでしょうか。羽や手足を後でくっつけるにしても、どの辺りを型取りしたんだろう。
 すべてを手でこねて作った訳ではなかろう。そんな事したらミニチュアと謂えど大変な手間だ。何処を型取りしたのやら。わけが分からん。

 木製の薄い台座を含め11cm。円形の台座の直径は9.5cm、台座裏に名前外が印字された小さな紙が貼ってあります。薄い滑り止めのフェルトも。印刷も湿っけておらず、全てキレイ。

Cicely Mary Barker
 シシリー・メアリー・バーカー または シセリー・メアリ・バーカー (Cicely Mary Barker,1895年6月28日-1973年2月16日) は、イギリスの挿絵画家で児童文学者である。「花の妖精(フラワーフェアリー,flower fairies)」シリーズと呼ばれる、独自の妖精詩画集を発表した。
 彼女の花の妖精は、花びらで造られたような衣装をまとった少年や少女で、背中に蝶やとんぼの翅(はね)を付けているのが特徴である。

 シシリーは、1895年6月28日、ロンドン南方、サリーのクロイドンで、ウォルター・バーカーとメアリ・エリノア・オスワルドの間の第二子として生まれた。
 子供時代、シシリーはてんかんを患った。その症状は二十代になる頃にはなくなったが、シシリーは特別な配慮を家族内で受けた。両親は中産階級に属しており、病弱なシシリーに乳母を付けた。彼女は学校へは通わず、家庭教育で教養を身に付けた。屋外に出ることはなく、子供時代は読書と絵を描くことに関心があった。
 シシリーの才能は早くから発揮され、自身、水彩画の心得があった父親ウォルターが彼女のよき師となり、指導者となった。1908年、わずか13歳のシシリーは、クロイドン芸術協会に作品を出展した。1911年には、四つの作品に買い手が付き、彼女の前途は洋々としたものとなった。
 不幸なことに、父ウォルターは1912年に41歳で逝去し、シシリーはよき指導者をなくすと共に、バーカー一家は経済的な困窮に見舞われた。シシリーの姉ドロシーは、しかし実際的な性格で、教師の資格を持っており、ドロシーが一家の生計を引き受けた。シシリー自身も、詩作品や水彩画を雑誌社に売ることで、生計を補った。
花の妖精シリーズ
 1917年と1918年に、シシリーは後に彼女を有名にする計画に着手した。彼女が愛してやまなかった、自然と子供たちの姿を美しい形で一つにまとめあげる計画――「花の妖精」の絵を描くことを始めた。
 シシリーは植物学的な正確さを求めて花々を観察し、また生き生きした子供たちの姿を活写するため、近所の子供をモデルにスケッチを描いた。
 こうして、シシリーは『春の花の妖精(Flower Fairies of the Spring)』を作り上げたが、彼女の本を引き受けてくれる出版社が見つかったのは、1923年のことだった。ブラッキー社が、彼女の詩と妖精の挿絵、各々24作を引き受け、シシリーに25ポンドを支払った。「花の妖精」シリーズの第一作だった。
 シシリーは内気な性格であったので、外の大人の世界とは隔絶して、家族に守られる生活を続けた。彼女の詩には、純粋さと無垢の要素が維持されたが、このような彼女の生活から来たものとも言えた。
 1924年に、姉のドロシーは自身の児童学校を開き、シシリーと母親を連れて、同じクロイドンのなかであったが、引っ越しを行った。学校の庭にシシリーはスタジオを建て、姉の学校の生徒である子供たちをモデルに、更に多数の絵を描いた。
 「花の妖精」詩画集シリーズは、片面に妖精の絵、その対する面にシシリー作の詩を載せた形で、『春』『夏』『秋』『道ばた』『庭』『樹』『アルファベット』と七巻がブラッキー社によって出版された。しかし、1985年に、ブラッキー社は、過去の作品から絵と詩を集めて、独自に新しい本を編纂し、これを『冬の花の妖精(Flower Fairies of the Winter)』として出版し、花の妖精シリーズは、現在では八巻が揃っている。

 シシリーは、「花の妖精」シリーズ以外にも、様々な挿絵を描き、詩画集や、彼女自身が創作した物語を出版した。白鳥と少女の友情を描いた『いぐさ川の王(The Lord of the Rushie River)』や『妖精の贈り物』などが知られる。
 敬虔なキリスト教徒であったシシリーは、キリスト教関係の聖歌や詩の本の挿絵を描き、また教会のパネル画や、祭壇の装飾画などを描いた。ポストカードやグリーティング・カードの挿絵は、若い頃から最後まで描き続けた。作風は異なるが、同じ妖精画を描く画家の友人などもできた。
 シシリーにとっては、しかし芸術家の友人たちよりも、家族の方が一層に親しみ深く、また重要であった。シシリーにとって悲しみであったのは、1954年に、姉のドロシーが心臓麻痺で世を去ったことだった。老いた母親と二人残されたシシリーは、家事を維持するのに精一杯で、創作活動は休止された。
晩年
 1950年代は、シシリーにとって最悪のときとなり、親しい友人たちの死去を見送らねばならず、更に1960年には、母メアリが世を去った。彼女は長年住み馴染んだクロイドンを出て、サセックス州へと移った。
 シシリーは高齢で、視力も損ない体力も衰えてはいたが、1961年から1972年に渡り、クロイドン芸術協会の副会長を務めた。そして1973年2月16日、シシリーは77歳で逝去した。
シシリーの作風
 シシリーの花の妖精は、植物の正確な描写と、生き生きした子供たちの像で画期的なものであった。彼女の絵は、幻想的というより、リアリズムでもあり、ラファエル前派の芸術の影響を受けたその作品は、何よりも「自然」な描写に充たされていた。
 初期に描かれ、『春の花の妖精』に納められた美しい絵である「プリムローズの花の妖精」は、当時、バーカー家で家事の仕事をしていたグラディス・タイディという名の少女をモデルに描かれた。シシリーが造った妖精のコスチュームをまとったグラディスは、花を実際に手にして、ポーズを取った。
 シシリーの描く花の妖精は、甘美な美しさと純粋な童心を喚起させるが、ときに奇妙にも見えるコスチュームをまとっていて、背中に蝶やとんぼの翅(はね)が付いていることを除くと、普通の子供や、少年や少女の絵であった。子供たちのポーズや表情は自然そのものであった。それは、花の植物学的な正確さと共に、実際の子供たちの姿に対する、シシリーのたゆみない観察とスケッチから来ていた。

ほかにもカップを出品しています。ぜひご覧ください。


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No.108.001.004

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